母の病気と介護

寝込むのは腰が痛い時くらい、そんなおしゃれで美人で明るい母が病気になりました。体の痛みから始まったその病は重く、一時小康状態を得たものの、やがて介護申請を余儀なくされることに…。介護という問題の複雑さや難しさを、娘の立場から語りたいと思います。

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2011/06/03
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はじめに。

私の両親は年齢が9歳離れていて、父のほうが年上です。喧嘩が全くなかったとは言いませんが、一般的にはかなり仲の良い夫婦の部類に入ると思います。両親の方針として「夫婦喧嘩は子供のいるところでは極力しない」ということはありましたが、少なくとも私も、6歳年上の姉も「出ていく」とか「離婚する」と言った話を聞いたことがありません。
両親とも子供が好きだったようで、父は姉はもちろん、比較的年をとってから生まれた私のことは、子供のころから本当によくかわいがってくれました。かわいがる、と言っても今時のモンスターペアレンツのような盲目的なかわいがり方ではなく、子供にとっては「優しくて厳しい」存在でした。
父の母に対する愛情は、子供たちに対する愛情とは全く違ったものでした。子供たちにとっては「優しくて厳しい」存在であった父ですが、母に対しては盲目的な愛情を注いでいるように見えました。父のほうがずっと年上であるにもかかわらず、父が母をしかりつけているところは今までの人生で見たことがありません。
たとえば母と子供が喧嘩になれば父は100%母の味方です。大人になるにつれそのことに気づき始め、喧嘩の時に母が「じゃあ、パパの意見も聞いてみましょう」と言ったらもうこれは絶対に勝ち目がないと、あきらめるようになりました。

母の父や子供に対する愛情の形は、父のそれとは少し違います。母も愛情深い性格で、父を誰よりも大事にしてきました。
仕事柄、父は仕事からの帰宅時間が遅いことが多く、夜中の1時、2時になることもしばしばありましたが、先に寝てしまうということは絶対にありませんでした。そんな時間でも軽食が必要な場合は用意し、信頼関係の深い夫婦ですから、その時間から父の仕事や子供の教育問題などを明け方まで話し合うこともあったようです。
そんな母ではありましたが、よく口癖のように言っていたのが「私は子供さえいればいいの」という言葉です。父の母に対する盲目的な愛情を見ていると、たとえ子供のことを愛している父でも、娘には決して母の代わりはできないな、と思っていました。
一方母に対しては、年齢差から考えて母が一人で残されることになったとしても、母は友達も多く出歩くのも大好き、娘の私たちだけでも母に幸せな老後を送らせてあげることはそんなに難しいことではないかもしれないな、と思っていました。

そんな母が病に倒れたのが、2005年から2006年にかけてのことです。
もともとスリムな母がみるみる痩せていきました。これは普通ではない、そんな不安の色が家族の中で次第に濃くなっていきました。
父を介護する母を助ける自分、というのは本当に漠然とではありますがイメージしたことがありましたが、逆については想像だにしたことがありませんでした。
けれど、それが現実になってしまうのです。

「母の病気と介護」では、今も病気と闘う母の介護という問題の複雑さや難しさを、娘の立場から語っています。

 

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